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    道平が口をうごかせるまでには随分手まどつた。

    その様子が房一に余裕を持たせた。彼は東京の代診時代に覚えた世間慣れた快げな微笑を浮かべることさへできた。

    「それで、何かね。ドイツ兵は徒歩てくで通るんかね」

    「それあ、あんた」

    この時さう云ひながら座に入つて来た者があつた。それは今泉だつた。

    一わたり済むと、練吉は最後にもう一度注意深く病人の顔をぢつと眺め、

    「はあ、はあ」

    が、練吉が駆け登つたのを見ると、先方の男は急に威丈高になつて怒鳴つた。

    「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁よめに行ったです。」

    「だから大事に大事に歩きましたよ。石ころの上を踏んだら一ぺんですからね。いつもこんなに大事に下駄をはいたらさぞ永持ちすることでせうが――」

    「さやうで御座りますか。お忙しいところを御苦労さまで」

    宿は大きい家で、ほかにも五、六組の逗留客があった。根津は身体に痛み所があるので下座敷の一間を借りていた。着いて四日目の晩である。入梅に近いこの頃の空は曇り勝がちで、きょうも宵から小雨が降っていた。夜も四つ(午後十時)に近くなって、根津もそろそろ寝床に這入ろうかと思っていると、何か奥の方がさわがしいので、伊助に様子を見せに遣ると、やがて彼は帰って来て、こんなことを報告した。

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